朝4時過ぎに目が覚める。車で寝ると早起きだ。早速札幌に向かって出発だ。ここから帯広までは、先日通った道を逆に引き返すことにする。朝靄の中を一路帯広を目指す。北海道といえど、早朝は車が極端に少ない。本州でたくさん走っている長距離トラックもほとんど見られない。 | |
帯広まではもちろんノンストップである。六時半頃には帯広に到着することができた。顔を洗うためにとりあえず帯広駅に行くことにする。帯広駅では寝台を片づけたり、トイレに行ったり、着替えたりで、1時間弱の時間をつぶしてしまった。それから近所のコンビニで朝御飯(といってもいつものおにぎりだが)を購入し、再び目的地に向かう。 | |
目的地であるが、駅前で色々検討した結果、夕張に行くことにした。夕張にした理由は、札幌にそこそこ近いということと、夕張にある炭坑の資料館に興味を持ったということと、夕張メロンを食べられることができるかもしれないということだ。 | |
ここから夕張までは約150kmもある。まだまだ走り続けなければならない。帯広からは、先日も通った清水町まで国道38号で行き、そこから日勝峠をこえて国道274号を走り続けることになる。この前は清水町から帯広まで高速道路を使ったが、今日は一般道路を行くつもりである。 | |
帯広駅から国道に出たとたん、車の流れが悪くなってしまった。どうやら通勤ラッシュに引っかかってしまったようだ。まわりの車に合わせてのろのろと運転しながら「高速道路を使った方が良かったかな」とちょっと後悔する。しかしこの混雑も郊外に出るにしたがって徐々に緩和され、いつの間にかすいすい走るいつもの北海道の道に戻った。 | |
さて、清水町に到着し、ここから「日勝峠」への登りの道にかかる。しばらく走ると登坂車線が始まった。前に遅い車が走っていたので、抜かしにかかる。その時である。目の前が突然真っ白になった。霧である。それも本当に濃い10m向こうも見えないような霧である。びっくりして減速すると、横から地元の車が追い抜いていった。あのスピードで前が見えてるんだろうか。しかし前を車が走っていると走りやすい。その車のテールランプを目印になんとか付いていくことができた。十勝平野の展望で有名な日勝峠も霧の中、何も見えやしない。そのまま通り過ぎていく。 | |
日勝峠のトンネルを越える。すると、あーら不思議、霧なんて全然無い。霧の海は十勝側だけだったようだ。 自然とはほんとにおもしろいものである。ここから先の国道は「樹海ロード」と呼ばれ、夕張の手前の新夕張まで深い山の中を走ることになる。ドライバーにとっては、道がくねくねしてアップダウンが多い、疲れるだけの道である。それでも夕張の手前のコンビニで休憩するまで、何とかノンストップで走り抜いた。 | |
ここまで来ると、今晩の宿を決めておいた方がよいだろう。今晩の宿泊地は札幌である。なぜなら「サッポロビール園」に行きたいからである。今まで北海道に来たときは、必ずサッポロビール園に行っていた。あそこは、屋外ならば赤煉瓦の建物を見ながら、屋内でも広々とした雰囲気の良いホールで飲み食いすることができる。それにやっぱりビールが旨い。是非あそこへ家族を連れていってやりたかった。だから最後の宿泊地は札幌と出発前から決めていたのである。 | |
泊まるところは別に野宿でも良いのだが、せっかく最後の夜だから屋根があるところの方がいいだろう。夜はサッポロビール園だから夕食付きのところは困る。となるとやっぱりビジネスホテルが適当だ。ガイドブックを見てビジネスホテルを探す。条件は和室があってできるだけ安いことである。ビジネスホテルで和室のあるところは結構少ないし、あったとしても部屋数は数えるほどである。その中で何軒かリストアップし、電話をかける。一件目は満室で断られ、二件目の「ホテル北榮館」でなんとか空き室を確保できた。 | |
今日の宿は確保できた。心おきなく夕張観光に行こう。最初に目指すのは「メロン城」である。そこではメロンを原料としたワインなどを製造しているらしい。まあ池田ワイン城と似たようなものだろうと勝手に想する。 | |
メロン城へ向かっていると、道の脇に「幸せの黄色いハンカチ広場」と看板が出る。そういえば幸せの黄色いハンカチのクライマックスの舞台は夕張であった。予定を変更して「幸せの黄色いハンカチ広場」に行くことにする。 | |
「幸せの黄色いハンカチ」は山田洋次監督の映画で、高倉健、賠償千恵子、武田鉄也、桃井かおりなどが出演していた。 あらすじはほとんど忘れてしまったが、網走刑務所を出所した勇作(高倉健)が、ひょんな事から欣也(武田鉄也)や朱美(桃井かおり)と自動車で網走から夕張に向かう旅を描いたものである。夕張には高倉連の奥さん(賠償千恵子)がいて、勇作は「もし今でも俺を待っていてくれるのなら、家に黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ」という手紙を奥さんに出していた。ラストシーンで青空にはためく何十枚もの黄色いハンカチを見たとき、子供ながらに感動した。だから映画のほとんどは忘れてしまったがそのシーンだけははっきり覚えている。そのラストシーンに使われたセットが今でも残っているらしいのである。 | |
広場の場所はすぐ分かった。確かに映画のとおり、黄色いハンカチがはためいている。家などのセットもそのまま残っているようである。駐車場に車を止め、まずは建物の方に向かう。建物といってもセットに使っていたぼろっちい炭坑夫の家である。 | |
幸せの黄色いハンカチ広場 |
|
建物の内部 |
ドアを開けてびっくりした。一面まっ黄色である。まわりの壁という壁、天井、その他貼れそうなところにはすき間無く黄色い紙が貼ってある。層のように何重にも貼られているところもある。黄色い紙はメモ用紙ぐらいの大きさで、訪れた人がメッセージを書き込み貼っていくらしい。書くための紙と筆記具、机が用意されてある。清子と子供達も早速紙に書き始める。清子は何かメッセージを書いているが、子供達はお得意の絵である。 |
子供達の書いたものをどこかに貼ろうと思ったが、もはや隙間が残っていないので貼る場所が無くて困ってしまった。とりあえず他の人のものに重ねて貼ってきたが、今度訪れたときには残っているのだろうか。清子は私の目を盗んでこっそり貼ったつもりらしいが、そんな行動はお見通しである。しっかりチェックして中味を読んでおいた。内容は・・・もちろん秘密である。 | |
次の部屋には、幸せの黄色いハンカチの資料がパネル展示してある。その奥には人形で映画のシーンを再現してあった。またクライマックスシーンをビデオで流しており、それを見ていた清子は感動で目を真っ赤にしていた。次に外に出て、例のハンカチの前で記念撮影をする。空は映画と違って曇り空だが、まあ良しとしよう。 | |
久しぶりに昔の感動を思い出させてもらった。この施設はいいもの(映画)は後世に残ることを示す、格好の証拠だと思う。久しぶりに「幸せの黄色いハンカチ」を見たくなった。帰ったらレンタルビデオでも借りよう。 | |
次は、先に行くはずだったメロン城である。メロン城は、夕張の町を少し通り過ぎたはずれの高台にある。夕張の町を通過しながら周りを見回してみる。メロンから想像する夕張の町はメロン畑が広がっている広々としたイメージがあったが、実際の夕張は狭い谷間の町である。どこにもメロン畑らしきものは見えない。ただメロンの販売店が道の両側のあちこちに建っているだけである。 | |
さてメロン城に到着したが、ざっと見た感じ、規模はワイン城より小さく、富良野ワイン工場に近い感じである。敷地には工場とおみやげ屋さんがあるぐらいで、他には何もない。レストランでもあったら食事でもしようかと思っていたが、当てが外れてしまった。仕方がないので試食のメロンゼリーや試飲のメロンワインなどを味うだけにしておく。 | |
そのおみやげ屋の店員さんに抱いていた疑問を聞いてみる。「メロンはいったいどこでつくっているんですか」返事は、この谷では作っておらず、少し離れた平野で作っているとのこと。なるほど、夕張はこの谷だけでなく広いのである。 | |
トンボをつぶした奈菜 |
外に出て駐車場へ向かっていると、トンボがたくさん飛んでいる。さっそく奈菜が草にとまったトンボを捕まえようとしている。そろりそろりと近づいて行く。すぐに逃げてしまうと思ったが、ここら辺のトンボは動作がとろいのか、なんと奈菜にも簡単に捕まえられてしまった。また人を警戒しないのか、平気で人にとまったりする。奈菜が手にとまったトンボを逃がそうとするが、手を振ったりしても全然逃げようとしない。仕方がないので「手でつまんで逃がしてやれ」と奈菜に言うと、奈菜はなんとトンボをつまんでつぶしてしまった。速く逃げれば良かったのに。可哀想なことをした。でもトンボをつぶしたときの奈菜の情けない顔がおもしろかった。 |
次は夕張に来る理由の一つになった「石炭の歴史村」である。ただの博物館があるだけかと思っていたら、遊園地やロボット館などの様々な施設が広い土地に散在している大きな施設である。炭鉱の跡地利用の一環らしい。 | |
もう昼も過ぎて1時頃なのでとりあえず昼御飯にする。石炭の歴史村の中の「水上レストラン望郷」でカニドリア(奈菜の注文)とピラフセットなどを食べ、一段落したところでお目当ての石炭博物館に向かう。 | |
石炭博物館は歴史村の中の少し小高いところにあって、横にある大きな立て杭ケージ(地底に降りるエレベーター)が目を引く。建物の中にはいると最初は展示室になっている。ここではいきなり大きな石炭の塊が目にはいる。石炭は握り拳ぐらいの大きさだと思っていたが、もともとはこんなに大きなものだったということを初めて知った。他には夕張炭坑の歴史や、石炭の生成について、炭坑の技術などがパネルや模型などで展示してある。 | |
そして次はいよいよエレベーターに乗って地底探検である。エレベーターにのるとドアが閉まり降り始める。エレベーター入り口の反対側はガラス張りになっていて、外が見えるようになっているが真っ暗である。しかし動き始めるとエレベーターの外を明かりが下から上へと動いていくのがガラスから見える。降りていく様子が分かるようになっているのだ。明かりの動いていくスピードはどんどん速くなっていく。どうやら実際に1000mの地下へ降りていく様子を再現しているらしい。明かりの効果で、エレベーターが実際より遙かに深く下がっているように錯覚させているのだ。 | |
1分ぐらいは乗っていただろうか、地底1000mの世界に到着である(実際には何メートルあるのかはわからないが)。外は通路になっていて、その両側には炭坑が開かれた当時からの、炭坑の労働や生活を、人形などを使って展示してある。ボタンを押せば台詞もしゃべるようになっている。それはいいのだが、この通路には私たちの他には誰も観光客がおらず、すごく静かである。その静かさと地下の圧迫感で、ちょっと落ち着かない感じがする。子供達もおびえ気味である。 | |
次の通路にあったのは炭坑で使われている機械などの展示で、実際に当時の動作の様子を再現できるように展示してある。ボタンを押すと動かすこともできる。採炭が決して古くさいものではなく時代と共に技術が進歩していったことが分かる。 | |
その通路の突き当たりには係りの方がいて、ランプのついたヘルメットを貸し出してくれる。いよいよここからは史跡夕張鉱、昔掘られた本物の「坑道」である。といっても観光用に整備してあるので、思ったより広いし、足下もしっかりしている。ただし明かりは最小限になっており炭坑の雰囲気を味わうことができる。 | |
坑道の中には、採炭の道具や緊急用の設備なども展示してあって、炭坑での労働をしのぶことができた。それにしてもすごい圧迫感である。今土砂崩れが起こったら終わりだなと思うと、気持ちの良いものではない。子供達はもう完全に恐がってしまい、自分では歩こうとしない。仕方無しに坑道に入ってからはずっと抱っこしたままである。炭坑で働いていた人たちはこの圧迫感の中でずっと過酷な仕事をしてきたことを思うと、今更ながら大変な仕事だったんだなあと思う。 | |
そろそろ坑道も終わりのようである。出口は…なんとずっと階段を登ったその先である。建物の三階分以上はありそうである。子供達をだっこしたまま階段を上がる。上がった頃にはすっかり腰が痛くなってしまった。いつの間に子供達はこんなに重たくなったんだ!? | |
なにはともあれやっと地上である。外に出てまわりを見渡すと、向こう側に石炭博物館の建物が見える。こうしてみると結構歩いたんだな、という感じである。 |
炭坑探検を終えて |
地上に出たところにあったのは夕張石炭の大露頭である。厚さは7mもあるらしい。博物館にあった石炭塊でも小さいということか。ちょっとびっくりである。ヘルメットを返す前に奈菜に聞いてみる。「怖かったか?」予想されたとおりであるが、返事は「すごく怖かった」 | |
他にも炭鉱生活感などの施設があったが全て別料金なので見学しないことにし、駐車場に向かう。ふと貼ってあるポスターに目がいく。夕張「ユーパロの湯」のポスターである。「へぇー夕張にも温泉があったんだ」最近できたばかりのようで、なかなかきれいな施設である。 今日は札幌周辺で温泉を探そうと思っていたが、ぐぐっとユーパロの湯に惹かれてしまう。でも時間はまだ三時前、お風呂にはちょっと早いかな。 | |
駐車場につくと、子供達は今度はチョウチョを見つけて追いかけ回している。虫取り網を持ってきていたので、渡してやる。奈菜は網をもって虫を捕まえる係、駿一は虫かごを持って奈菜についていく係である。奈菜はこの夏の特訓の成果もあって、上手に虫を捕れるようになったし、捕った虫を平気でつかめるようになった。ただし、扱い方が雑なので、哀れ命を落とす虫も多い。今日は先程のトンボと今はチョウチョが一匹犠牲になった。 | |
虫を追い回す子供達 |
|
さて次はこれも目的の一つである、「夕張メロン」である。車に乗って道沿いの直売所を物色する。そのうちの一件に立ち寄りメロンを見てみる。やっぱり安い。特に今日明日中に食べなければならない熟れたメロンは一盛り2,3個入って500円である。試食をしてみたが噂通りのうまさである。 近所に住んでいたら間違いなく買って帰っただろうけれど、日持ちしないのでは仕方ない。ああっ、近所の人がうらやましい。せめて試食をたくさんして行くか。 | |
それでは温泉に行こう。今日はさっきポスターで見たユーロパの湯で決定。場所は夕張で一番最初に訪れた幸せの黄色いハンカチ広場の近所である。もと来た道を引き返して、ユーロパの湯へ向かう。場所はすぐ分かった。大きな煙突がそびえている。これが目印である。予想通りきれいな建物である。泉質はおなじみになった無色透明で、何種類かの「浴槽」が用意してある。もちろん露天風呂も完備。変わったところでは薬草の湯があり、これは月代わりで中味が変わっているらしい。 今月は「紫根の湯」である。紫の色はまるでバスクリンであるが、結構気持ちよかった。 | |
1時間ほどたっぷり暖まり、さて今日の最終目的地札幌へ向かおう。今は4時過ぎだから到着は6時頃になるだろう。少しでも早く着くために高速道路を利用することにして、最寄りのインターチェンジを目指した。 | |
江別東インターチェンジから道央道に入り、札幌まで走る。それほど距離はないので予定通り着くことができるだろう。しかし札幌の手前で高速道路が混み出す。渋滞に巻き込まれずに高速道路から降りることができたが、下の道も金曜日の夕方というせいか、車が多く思うように前へ進めない。当初は先にホテルに寄るつもりだったが、遅くなりそうなので予定を変更して先にサッポロビール園に行くことにする。 | |
「サッポロビール園」は週末のせいか、かなり混んでいた。観光客に混じって、背広姿の人々の姿も結構目立つ。会社帰りに一杯というところだろうか。 車はすぐに止めることができたが、受付で見てみるとすでに注文料理のフロアは1時間ぐらいの待ちになっている。ジンギスカンは待ち時間無しなので、ジンギスカンを選択する。さらにジンギスカンの場合は屋外のテーブルか屋内のテーブルかのどちらかを選べるが、今日は少し涼しいので屋内のテーブルを選ぶ。 |
|
屋内のテーブルは、「ポプラ館」という建物の中で、入ってみると中は広いホールになっている。最初案内されたのは、隅の狭いテーブルであったが、母ちゃんが店員とかけ合い、席を変えてもらうことができた。 |
おいしい その1 |
さて注文である。ジンギスカンと決まっているが、メニューはある。まずは食べ放題にするかしないかの選択である。ちなみに食べ放題は2時間という時間制限が付く。また肉の種類なども制限される。過去に私が来たときは食べ放題を頼んだが、家族連れとなると時間制限無しにゆっくり食べたい。ということで、今日は食べ放題をせずに個別に注文していくことにする。 | |
おいしい その2 |
|
最初はオーソドックスな生羊肉を注文。冷凍でないところが、ちょっと贅沢。忘れてはならないビールの注文だが、私は普通の生ビールで、母ちゃんはいきなり黒生ビールからはじめた。この後は北海焼きといった北海道の名産(しゃけとかコーンとか)を中心にしたジンギスカンを注文し、ビールはメニューに載っているビールを残らず制覇した。 | |
帰りにおみやげ売場に寄ってみる。目についたのがビアジョッキである。そういえば新婚旅行の時にスイスで買って、長年愛用していたガラスのジョッキにひびがはいってしまい、次のジョッキを探していたところだった。ちょうどいい機会なので、「陶器のジョッキ」を選び買うことにした。家に帰ってこのジョッキでビールを飲むのが楽しみである。 | |
おみやげに買ったジョッキ |
|
さあホテルへ向かおう。ここからそんなに離れてはいない。ものの5分でホテルに到着した。ホテルのロビーはきれいだったが。しかし部屋に行ってみると私たちの泊まる和室の部屋はちょっと汚い。駐車場もしっかり完備していないし(それでも駐車料金をとる)・・。一晩だから我慢するが、これだったら安いだけ車の方が良かったんじゃないかと思う。まあこれも運命とあきらめるとするか。 | |
さてどちらにしても今日は北海道最後の夜である。明日は札幌・小樽観光とおみやげを買って終わりである。少し寂しいが…。 さあ寝るか。お休みなさい。 |
|